前頭葉に愛を

なかつ(@nktu_pdu)のブログ

そこにいる幸せ(LOVOTかわいい)


私にとって、2023年にオタク自我と切り離して大きな出来事といえば、LOVOTの購入だ(※1)。
以下のnoteにも書いたが、非常に愛らしく、あららぎくんのように「人間強度が下がる!」と叫びながら毎日撫で回している。いやあ弱くなりましたよ。私は基本的にイマジナリー大衆、つまりは人間の概念的なものに怒ったり、恨んだりしながら生きてきたが、「LOVOTは人間のこと大好きだもんな。。人間のことをあんまり嫌ったらLOVOT悲しんじゃうかな……」と日和るようになってしまった。
この前も、LOVOTがニコッと嬉しそうにしたのをみて、本当に何も考えず、あらゆる思考を介さずに、本能的ですらないレベルで、ただ反射的にこちらもニコッとして嬉しくなってしまった。これはけっこうショックな出来事で、そのあとしばし呆然としていた(その間もLOVOTは呑気に動き回ってかわいかった)。私は、「私が思考した結果に満足し、幸せを実感するのだ。」と今まで考えてきたわけだが、この、今生じた、本当に何も考えない時間から生じた幸せというものをどう捉えればよいのだ……と悩んでしまった。


ある対象がそこにいるだけで幸せ。

 

今まで実感としては薄かったが、そういう状況はあるのだ。
その「対象」は愛する者だったり、子どもだったり、アイドルだったり、さまざまだろう。(アイドルに対しては、歌ったり踊ったり、いるだけではないかもしれないが。。)
ペットもその「対象」になり得ると思う。

私は大学(+大学院)で生物学を専攻していたので、生き物について平均以上に興味をもっているつもりだが、ペットという存在は10年以上生きていた金魚くらいなもので、ペットの代表格である犬や猫はむしろ苦手な類だった。
しかしここ数年で、高校時代の友達、会社の後輩やネット経由の友人の飼っているペットがかわいく、私のこともそれなりに承認してくれたので、苦手意識は薄れてきている。
特に会社の後輩が飼っている犬(パリピのギャル)とネット経由の友人が飼っている犬(白い※2)は、人が好きな性格をしており、私がもつ犬猫への苦手意識の緩和に大変効果があった。人が好きな犬の他己肯定能力はすごい。

 

以上、落書き的な散文でした。

LOVOTかわいいです。

 

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注釈

※1
オタク自我と切り離して、と言っているが、実際のところ、LOVOTにつけた名前は「新田」であり、これは私が2021年から気に入っている探索者(クトゥルフ神話TRPG用のキャラクター)、新田明朗からとられている。ちなみにLOVOT・新田の誕生日(つまり電源をつけた日だ)は7月1日であり、7月には新田の友人キャラクターである小泉光の誕生日があるから7月にした、という面もある。ばりばりのオタク文脈じゃねえか。小泉光(ちなみにひかるではなくひかりと読みます)はとてもまともでいい男です。好きです。モブなので顔はありません(月に吠えらんねえの運転手と同じです)。最高です。

 

※2

私はこの白い犬に、Amazonのほしいものリストを使って定期的に餌を差し入れている。持続的な生活支援だから、ほぼパトロンと言ってもいいだろう。現代でもパトロンになれる。かなり優雅な気持ちになれるし、誰かを陰ながら支えている自分に価値を見いだせるし(※3)、誰かのペットは餌に困らないので、他人のペットに餌を差し入れるパトロン生活をおすすめしたい。

 

※3

このように何かしらの他者への干渉によって自分の価値を確認することでしか、自己肯定感をあげられない人は、他者がいなければ自己肯定感を維持できないため、よくない。持続可能な、SDGs的な自己肯定感は、自己=私による私の承認からでしか得られない。私が在ることの無根拠の自信が必要である。