前頭葉に愛を

なかつ(@nktu_pdu)のブログ

Twitterって奇跡の空間だったかもな

2024年になっても、2023年に引き続き、Twitter(現X;以下、未練たらたらでTwitterにて表記を統一する)について、もうだめだ~おわりだ~という空気には変わりはない。

TwitterからXになってだせえ~改悪だ~と騒がれ続け、プロフィールから見られるメディア欄はいつの間にか表示が変わっていた、と思ったらまだ戻ったという話もあったり、やっぱり変わっていなかったり。投稿が間引きされているという話があったりなかったり。URLつきで投稿するとインプレッションが下がったりなんだり。
タイッツー、Misseky、くるっぷ、Threads、Blueskyなど、代替のSNSにアカウントを作るフォロワーも増えてきた。
私もTwitter以外のアカウントをいそいそと作り始めたが、なんだかんだで「Twitterくんよぉ~~~私はできればお前のところに居たいんだがよぉ~~」とTwitterのアプリ(随分前にXのアイコンに変わってしまっているが)を開いて、タイムラインを眺めている。

機能や使ったときのストレスのなさを考えれば。代替のSNSの方がbetterなことも薄々わかっている。
それでも私がTwitterから離れられないのは、長年蓄積してきた、フォローしてきた人たちやフォロワーとの思い出がそこにあるからだ。

 

私がTwitterでかき集めた、フォロワーやフォローしている人すべてが、どこかのSNSに集まるなんてこと、ありえないとわかっているからだ!

 

長い間かけて集めたアカウントたち。
たとえば、私が今メインで使っているアカウントは、……と書いて、念のためTwitterのプロフィールページに飛んで確認してみた。

 

2009年11月からTwitterを利用しています

 

……。

14年以上。使っている。

生まれた赤ん坊が中学生だぞ。
普通に私の人生の半分弱だぞ。

それだけ使ってきたツールなのだから、代替なんてできないに決まっている!

まあ。
薄々理解している。

無料でユーザー登録ができて、無料で好きなテキストをインターネットに放流できて、無料で好きな人たちの放流したテキストを集めて、無料で膨大なテキストたちを検索できる。

基本的に資本主義がベースの世界で、こんな都合のいい空間が、在り続けてきたことがおかしかったのだと。

たぶん、私がTwitterをはじめたときくらいは、まだインターネットの普及が、誰でも好きなとき、好きな場所でインターネットを使えることが、個人の幸福・充実につながると考えていた時代だったと思う。

ほとんどの人がインターネットを使えるようになって、「右肩上がりに幸せになっていくかと思ったけど、そうでもないな~」とぼんやりわかりはじめても、私はTwitterで楽しく遊んでいた。
Twitterは楽しい遊び場だと思っていた。これは一生遊べる、一生モノの場所だと思っていた。

実際に、Twitterで知ったことはたくさんあるし、自分が知りたい情報をかなり効率的に集められるようにはなってきた。
それに、Twitterで知り合った人とたくさんのことを経験した。

 

フォロワーに「おはよう」と言われたし。
フォロワーに「おやすみ」と言われたし。
フォロワーに「お疲れ様」と言われたし。
フォロワーと飲み会をしたし。
フォロワーと美術館や博物館に出掛けたし。
フォロワーの本名を知っているし。
フォロワーに誕生日プレゼントをもらったし。
フォロワーの家に遊びに行ったし。
フォロワーと旅行に行ったし。
フォロワーと海外旅行にも行ったし。
フォロワーが告白されてびっくりしたし。
フォロワーの結婚式に行ったし。
フォロワーの出産をお祝いしたし。

それから、フォロワーが亡くなったことに衝撃を受けたこともあったし。


いろんなことがあったのだ。
いろんなことを知ることができたのだ。

わかっている。
繰り返すが、たぶん、今までのTwitterが夢のような空間だった。
本当はちゃんと、対価を払って情報を集め、自分の手間をかけて情報を精査し、自分の手元に情報を残しておかなければならない。

 

人間としてはそっちの方が正しいのだろうし、長い目で見ればあんまり正しくなかった歪みが、いろんなところに出てきているのだろう(デマとかさ)。

 

でもまあ、別れられないわけですよ。

いつか別れなきゃいけないと思っていても。

正直なところ、また一からフォローしているアカウントたちの移行先を探して、ちまちまフォローしていって……という行為がめちゃくちゃめんどくさいという気持ちも大きいのだけど。

夢の空間!なくならないでくれ!

 

奇跡だったとしても、こんな長く続いてしまったなら、私たちはそれに慣れてしまうんだよ!!!

(なお、ここまで奇跡だ夢だと言っているが、無論、いいことだらけではなかったことはわかっている。)

 

ということで、「一生モノ」だと思い込んでいたTwitter(現X)は、当然だけど一生モノなんかではなくて、むしろ奇跡の、本来だったら存在しなくてもおかしくない稀有な空間だったよねという話でした。

 

 

そんな感傷を刺激される日々、思い出されるのは機能美pさんの、「ログオブザデッド」です。配信見ました。むっちゃくちゃよかったです。

いつか一般公開されると思われるので、そのときは、Twitterに未練がある人、全員見てください。よろしくお願いします。

 

(機能美pさんは「煩悩事変」もいいですよ。)

youtu.be

 

 

ということで。

今週のお題「一生モノ」

でした。

 

 

 

蛇足

Twitterで好き勝手できている感覚があったのは、運営の大元が日本ではなかった、というのもあるのかもしれない。
運営方針とか、経営がどうだとか、そういうのが運営側から匂わされていたのかもしれないけど、少なくとも日本でTwitterを使っているときに、容易に目に入ることはなかった(と思う)。

 

 

蛇足2

いや~しかし14年で、ここまでインターネットが自由に使えるようになるのか~すげえな……。
多分、上記に書いたことは、20代後半?~30代くらいの感覚で、10代あたりの人たちはまた違う感覚なのだろう。なんとなく、10代前後の若い人(って言い方するようになってるからもう私もおしまいか?)は、Twitter集合知みたいなものは、あんまり求めていない気がする。肌感覚だが。