前頭葉に愛を

なかつ(@nktu_pdu)のブログ

2024.3.12

しばらくお腹の調子が悪く、マクドナルドのハンバーガーセットを食べただけで胃もたれしてしまったこともあり、ビオフェルミンを飲み始めた。

するとビオフェルミンを飲み始めた翌日にSEIRIがきて、「なんだよ、これのせいじゃねぇか!」と暴れたくなった。

だがせっかくなので、ビオフェルミンは飲み続けることにする。

寝る前にはヤクルト1000も飲んでいるし、細菌を積極的に取り入れる生活になっている。

私の腸内細菌叢!元気になってね。

 

明日はちょっと耳鼻咽喉科に行きたくて元々有給をとっていたのだが、タイミングがよかったのだか、悪かったのだか。私はSEIRI中というよりは、前のほうが体調や精神状態がよくないタイプ。

私の大発見:「陽キャ」の定義

今週のお題「大発見」

ちょうど先週にあった、個人的な大発見について書こうと思う。

 

先日、会社の同僚たちと居酒屋で飲んだ。年次も部署もバラバラのメンツで、非常に楽しかった。
そのなかで盛り上がった話題の一つが、「陰キャ陽キャの違い」だ。
メンツの一人(Yさんとする)が、私から見たら陽キャ側の人間だったので(もちろん、私は陰キャ側の人間である)、「Yさんって陽キャですね」と言ったら、「えっ、俺は陰キャでしょ!」と言うのだ。そこから、いや、Yさんは陽キャでしょう!と他の人たちも言い始めて、盛り上がった。

私は陰キャとして陽キャの存在をギリギリと歯を食いしばり悔しがって眺め続けている(だから私のなかで陽キャが集まりがちな印象のバーベキューは嫌いな行事の一つだ)*1 人生を送っているので、陽キャ(と思われる人)が陰キャを自称するのが許せなかった。
そこで、お前は陽キャだ、というのを突きつけるべく、考えを巡らせた。

 

私の陽キャの印象としては以下のものがあげられる。

  • いろんな人と話すことに抵抗がない
  • アクティブ(インドアよりはアウトドア)
  • 明るい
  •  

しかし、さらに何か「陽キャってこうだよね」という決定的な要素はないだろうか……と考えたときに、私は、自分とYさんの違いについて思い至った。

 

陽キャは「受け入れるのが早い」。

 

陽キャは、他人のことを「へえ、そっか」と受け入れるハードルが低いのではないか。他人を受け入れられるからこそ、「いろんな人と話すことができる」し、他人の趣味や言動を受けて自分もこれをしようかなと「アクティブ」に動くことができるし、なんだあいつはとぐちぐちせずに「明るい」態度でいられるのではないか。
この「受け入れる」というのは、肯定するだとか、良いと思うだとかという意味ではなくて、「この人はこうなのか」と納得するという意味である。

 

……ということを考えて、「私はYさんにそのような陽キャの傾向があると思うのですよ」と語っていたら、Yさんは「うーんそうか。俺は自分でわからなかったけど、陽キャだったのか」と口にしたので、でかい声で「今のそれですよ!!!」とYさんを指さしてしまった(すみませんでした)。
陰キャだったら私の自論を簡単には受け入れず、「でもそれだったらこういう傾向があるから…」と自分が陰キャであることを多少なりとも説明しはじめたに違いない……他人をすんなりと受け入れる!

 

思いがけず、語ったそばから自論を証明したような形になったが、どうだろうか。

個人的には大発見だった。


よければ陰キャの方、陽キャの方、自分が思う「陽キャ」の定義を教えてください。

*1:という話を会社の仲がいい同僚にしたら、「田舎では陰キャ陽キャ関係なくバーベキューしますよ。実家でよくやっていました。怖くないので今度実家にバーベキューしにきてください」と言われたので、夏頃に同僚の実家へバーベキューをしに行く予定だ

たまに歩いて禍話を聞いている(今週のお題)

 

今週のお題「習慣にしていること・したいこと」

 

一昨年の健康診断で非常にやっばい血液検査の数値を叩き出してしまい、怯えて病院にいったら「脂肪肝ですね」と言われておしまいの気持ちになったので、ここ一年くらいは気が向いたら会社から家まで歩いて帰るようにしている。

本当は「THE 習慣!」と言えるくらい、つまりは週に一度以上は歩いていればいいのだろうが、寒いとやだな〜となり、暑くてもやだな〜となり、残業するとやだな〜となり、「気が向いたら」としか言えないような頻度でしかやっていない。半年くらいはそこそこな頻度で歩いており、食生活を見直したこともあって、血液検査の数値は正常値に戻った。よかった。かわりといってはなんだが聴覚がやられた(過去ブログ参照)。もう健康診断でall 

perfectの理論値を叩き出すことはないのだろう。

 

会社から家まで歩いて帰るといっても、数時間かけて大移動ということではない。言ってしまえば、怪談配信のツイキャス「禍話」の一回分を聞きながら帰ってちょうどいいくらいだ。

(「禍話」は本当に素晴らしい怪談配信なのでぜひ……)

 

はじめはただ歩くだけでつまんないかも、と思っていたが、歩いて帰る時間=「禍話」を聞く時間と捉えることで、楽しく歩けるようになった。不思議なことで、楽しい時間として捉えると、歩き始めた当初に比べて体感時間が短くなって「あれ、もう着いた」と思うようになってきた。

(今ではさらにその体感時間に慣れて、またダレてしまってサボりがちになってしまっているが。。どこまでも怠惰である。だめだこりゃ。)

 

「禍話」関連で習慣づいていることとしてはもう一つ、noteに投稿されている「禍話」のリライトのチェックがある。「禍話」は青空階段、つまり著作権フリーの怪談ということになっており、配信を聞いたリスナーがテキストに起こして投稿できる。新しいものがないか、ほぼ毎日チェックしている。これは頻度的に習慣と言っていいだろう。

 

ちなみに大学院時代の習慣は、洒落怖まとめサイトのチェックだった。


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フォロワーへの回答のようなブログ記事です

麻布競馬場氏の「令和元年の人生ゲーム」読了。
私としては、朝井リョウに次ぐ、「今」を切り取って描く作家と成ったな……としみじみ感心した。タワマン文学として発行された「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」から、小説家としてさらに進んだ感じがする。
朝井リョウもとんでもなく素晴らしい作家だが、朝井リョウがほぼ同世代をクリティカルに描いている一方で、麻布競馬場氏が今回描いた「Z世代」は、麻布競馬場氏より世代が下と言ってよく(麻布氏は1991年生まれ)、リアルな世代ではないが、ここまで書けるのかと感心した。
性格には、4話通して登場する中心人物の沼田は、作中で「Z世代」として描かれているより少し年上だから、麻布氏に近いと言っていいかもしれないが……。

 

さて。
フォロワーから、『麻布競馬場氏の「令和元年の人生ゲーム」面白いですか?』というメッセージがあったので、考える。
小説としては「面白い」。現代人の精神をクリティカルに描いていると思うし、一作目に比べて小説としてとても面白い。
しかし、お話として「面白い」かというと、微妙だ。基本的に、楽しい話ではない。出てくる固有名詞も、一部の人間にとっては優しくないだろう(より心に刺さるにはある程度の知識と行動範囲が必要だと思う)。だが、「面白さ」に快/不快と違う軸を添えることができるなら、この話は「面白い」。心が苦しくなるし、私は思い当たる節がある、ある種の愚かなエゴをもつ人間であるから、胸をかきむしられるようなところもあるが、私はこの小説が好きだ。
そうだ、面白いというより、「好き」が先にくる作品だ。
私はこの小説を読んでよかったと思うし、この小説を間違いだとは思わない。


……などとかっこうをつけて語ったが、まあ、ぶっちゃけ、この小説を「面白い」と断言できるほど、私は聖人ではないし、この小説に傷をつけられています、という回答になってしまうだろうか。
楽しい話を読みたいのならおすすめしませんが、普段の麻布氏のツイートを見ている+「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」を読んで「好き」だと思ったなら、ぜひ読んでほしいと思います。(もっともっと具体的に言うと、窓際三等兵さんの"普段の"投稿をマイルドにしたものを想像して辟易したならやめた方がいいかもなあとは思います)
あと、朝井リョウ「何者」を読むときの精神力×0.7くらいは必要だと思います。

 

books.bunshun.jp

 

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