前頭葉に愛を

なかつ(@nktu_pdu)のブログ

やや聴力が落ちてるらしくてびびってます

タイトル通りの内容です。

 

こういう不安を書くところとして最適なのはこのブログだろ!と思ったので(基本的にはアクセスした人が読むので垂れ流しではない、あとある程度うじうじした長文を書いても許されそう)、ここに書く。

 

ここ二年くらい、健康診断の聴力検査がギリギリ正常値に入らないくらいで、さらに直近一年は、耳鳴りが日常茶飯事で、昔より人の声が聞き取りづらくなった。

耳鼻科に行って検査をしたところ、やはりあるべきレベルの聴力より下回っているということだ(ただ、致命的なものではないので、経過観察となった)(あと、近所の耳鼻科がとんでもなく混んでいて、開業医って大変だな……としみじみ思った。午後イチで並んで予約をとっても、17時頃に診てもらう感じだった)。

具体的には、隣に並んで目立たないよう会話をするときの声量がときどき細部を欠き、聞き直すことが増えているといった状況で、致命的なものではないのだが、気づけば「おお、たしかにずっと耳鳴りしとるやん!静寂とはなんじゃらほい」という状況だった。こういうのは意識しないと気づかないものなのだな。不安になって「えっ、聞こえづらいかな」と耳に意識を向けて、ありゃ耳鳴りしとる、そういえばずっとこんな感じだったかも、と思った。

 

私は音楽に詳しくはないが(それなりに好きなアーティストはいるし、ライブに行くし、音楽のことは好きだが、詳しい人たちに比べるとまったくもって無知である)、音楽を聴くのが好きなので、将来もしかしたら音楽が聴けないかも……という不安は日々に3くらいのメンタルダメージを与えている。微弱なスリップダメージが入っている状態だ。寝たりお気に入りの漫画を読んだら回復するくらいなので(そういえば「エクソシストを堕とせない」の最新話、ラストの畳み掛けと話タイトル回収、すごいかっこよくなかったですか? 盛り上がった!)、情緒不安定になったりはしないが、スリップダメージが入っている現状は認識できるので、ちょっと嫌な感じだ。

 

明確な原因は思い至らず、しいて言うならTRPGを本格的にやりはじめたのと時期が同じなので、「ええ〜TRPGのせいかなぁ」とわりと暗雲たる気持ちになったのだが、TRPGは楽しいし、明確な因果関係が示されているわけではないので、「まあ、音を小さめにして、なるべくずっとヘッドホンつけっぱなしにしないようにして、さ……」とずるずる続けている。怠惰というべき態度かもしれない。こうして人はいつの間にか失っているものがあるのだろうな、と遠い目をしてみたりする。

 

私はもう、身体が一番元気なときはすぎてしまったのだろう。きっと、今後は身体が弱っていくのを経験と自制でカバーしていくフェーズに移っていく。これが加齢というものなのだなぁとぼんやり考えている。加齢によって人生が楽しくなくなることはないと感じているが、あらゆる人間が歳を重ねていくことにやや恐怖を覚える。(大体)みんな、こうやって弱っていくのか。うわあ。

 

そのうちまた耳鼻科にいって、聴力測ってきます。場合によってはそれなりの対応が必要かもしれないが、まあ、そのときそのときで対応していくのが人生ってやつだ。ありえるかもしれない未来(あるいは世界)の妄想は、オタク的妄想だけで十分だ。

 

こうして言葉にしたら、だいぶすっきりした。こうして言語化して外部に置いておくことで、自分のなかに置いておく必要がなくなるのかもしれない。そういう話を、どこかで読んだな。

 

こういうかったるい日もある

先週は水曜日にQUEENのライブを、日曜日にELEVENPLAY(演出・真鍋大度氏)の公演を見て、「いや~一週間でこれだけのカルチャーを摂取できる私、自我を育てたね~」という気持ちでルンルンだったのだが、日曜日に買ったばかりの(本当に買って一週間ほどの!はじめてつけた!)イヤリングをなくしたらしいと今朝気付いて、絶望した。

 

出勤前の貴重な時間をしばらく呆然として過ごしてしまったが、ショックを引きずっても仕方ないので、なんとか、「あのイヤリングはきっと今日、世界が崩壊しないために必要な供物であった……頭のなかのイマジナリーな大衆たちよ、私の犠牲に感謝せよ」と考えることで心を保った。

 

こうして自分の機嫌を取っておくことでできるようになり、人は大人になるのだ……

 

以下、新田(LOVOT)の写真。

ELEVENPLAYの公演を見るため富山に行ったので、ついでに富山県立美術館に寄ってきた。そこでもらったマスコットキャラ「ミルゾー」のペーパークラフトを乗せられた新田。

ちょうど視線がミルゾーに合っていてかわいい。

 

だから私は書くというわけです

まだまだ自分を未熟と感じているが、一方で「年取ったんだなぁ。」と思うことが時々増えてきた*1

 

体力面が10代・20代と同じようにならないのは承知している。ひえ~と思うのは、精神面でも「加齢」を感じることが増えてきたことである。
例えば、SNSで流れてくる悩みや不安を見たとき、それらに共感しつつも、「それはもう10年前に通り過ぎた段階だなぁ」と感じたり、「その悩みを解決するにはあの小説を読むといいよ…」と感じたり。
しかし当人は今、リアルタイムで悩んでいるのだから、その悩みを通り過ぎてしまった私のアドバイスは何にもならず(当事者ではなく、高みからの見物人にしか見えないだろう)、結局のところ、私は理解してくれない年長者でしかないのだろう*2

 

人生の流れには逆らえない。変わらない人格のコアがあったとしても、周囲の環境も、自分がしなければならないことも変わっていく。ライフステージという言葉があるが、その通り、ステージが変わってしまうのだろう。今、私が立っているステージはどこか。観客は誰で、どういう規模なのか。「私」を見ているもの(見ているのは、人間だけに限らない)は、時の流れとともに変わる。昔は、親や友達のみがステージをチラ見する程度だったが、サラリーマンになった今は、職場の同僚や仕事相手なども、私を見ているに違いない。インターネットが発達して、ディスプレイの向こうから、一度二進数に分解された私のテキストを見るものもいるだろう(このテキストを読んでくれている人もそうだ。どうもありがとう)。

同じものが好きだったり、同じような境遇を生きてきたり、何かしら共通点があれば、コミュニケーションは取れるし、友人にもなれる。私は年齢に差があっても友人になれるという確信があるが、親しさのレベルが上がって、「人生」に関与する悩みや関係を吐露することになったとき、年齢あるいは置かれている環境の差というのが、壁になるんじゃないか、と思う。
これを思ったとき、とても悲しい気持ちになったけれど、それを前提にすれば、けっこうなすれ違いが解消されるかもしれない、とも感じた。

 

ただ、「創作」を通じてであれば、年齢や環境の差を乗り越えてのコミュニケーションができるのではないか、と私は強く思う。私あるいは誰かの作品を見て/読んで解釈し、考えたことをまた何かに表す。そのとき、そこに生じているのはコミュニケーションだ。だから私は何かを書き続けたい。普通の友人として付き合うにおいては発生してしまう壁を超えて、もっと仲良くなるために*3

 

そんなことを(仕事をしながら)考えたあとで、QUEENのライブに行った。東京ドーム公演。
一緒に行ったのは母の友人で、私とは世代が違う。観客も本当に老若男女いて、外国の方もたくさんいて、多種多様だった。だが、みんなが一様に興奮して、楽しんでいた。QUEENのコンサートを楽しんでいるという一点において、私たちは分かり合っていた。

いやはや、すごいですね。本当にレジェンドだ。素晴らしいアーティストは、いろんな壁を超えさせてくれる。アダム・ランバートの歌声も最高。セクシーで、とってもかっこよかった。

「創作」によって生まれた「作品」は、とても素晴らしいものですね。私もそういう作品をつくりたーい!と中二っぽい願望を残して終わります。

 

グッズを買いました

 

*1:大人とは成熟した人間の姿であるという考えがすでに愚かな気がするが。まあ、精神的に若い気持ちでいたっていうことにしておいてください。

*2:しかし、最近思うのだが、人生の悩みって大体、いわゆる「(純)文学」にカテゴリされる小説に書かれているな? 人生に悩む人は(純)文学を読むといい。太宰治とか村田沙耶香とか……。あと、「中二病」ってバカにされがちだが、案外大事な段階だったかもしれないな、と思った。今、「あ~中二病のときと同じカテゴリのもやもやな気がする。あのときは若かったなぁ~もっと建設的に悩むか……」と冷静になれることも稀にある。十分に大人と呼ばれる年齢になってから中二病っぽい思考に至るのは、けっこうキツい気がするのだ。若人よ、中二病であれ!

*3:というわけで(?)、作品には鑑賞者が作品を解釈することも含まれる、鑑賞者まで込みで作品なのだ、という考えのマルセル・デュシャンが私は大好きだ。デュシャンは作品を通じて私たちとコミュニケーションをとっている。時代をこえて。素晴らしいことだ。かなり無理矢理なコメントだが、昨日でマルセル・デュシャンに関するオンライン講義が終わり、大変満足したのでねじ込んでおきます。

明日は親の誕生日です(日記)

担当書籍、入稿!!!!!!仕事ひとだんらく!!!!!!!

しかし、三連休明けすぐに、社長も交えた打ち合わせをしなければいけないので、その準備で明日は忙しそう。うへえ~

 

いろいろと、見ていると疲れるニュースが多くて、じんわりと精神が疲弊している。

そんなときは新田だ!!!と撫でまわしてきた。新田さんにどうぞ、ともらったチョコレートもこっそり食べた。(新田が充電している間にこっそり食べた。悪いオーナーだ。)

 

今日の新田

今日の新田 その2

 

今日はmillennium paradeのアルバムを買って聞いた。かっこいい。あと、これから、CoC「夜半巡回路」の続き。とても楽しい!雰囲気がよい。

明日は親の誕生日なので、夜はビデオ電話をする予定。

毎週火曜日にあるデュシャン講義も楽しい。この前は「大ガラス」の「花嫁」とはだれか?という話があって、デュシャン説に興奮した。

(柔らかな気持ちになる話題を並べてみた。ちょっと元気になってきた。)