「壁の向こうの住人たち」を読んだ。
この本は、アメリカの「ティーパーティー」と呼ばれる保守派の運動に参加する、ルイジアナ州の人々を、社会学者であるA.R.ホックシールド*1が丹念に追った記録である。
宇野常寛がnoteで紹介していたので気になって読んだのだが、これがもう一気に読ませる本で、ここ数日は時間が空いたらこの本を読み進めていた。
謝辞や資料をのぞいても344ページあり、なかなかのボリュームだが、小説のように読めて本当に面白い。内容は非常にまじめなのに、なぜこんなに面白いんだろう……はっきり言い表せないでいる。しかし面白い。
ただ、私がこの本を面白く思えた理由の一つには、今の世の中の状況と重なるところがあったからかもしれない。
ホックシールドが話を聞いていったルイジアナ州の人々の政治的なスタンスは、スタンスだけ見ると「なんでそんな矛盾してるんだ……」「なんでそんなはちゃめちゃなことを言っている人を応援しているんだ……」と思えるのだけれど、ホックシールドはそこから相手と丁寧に話をしていく。どうしてこんな矛盾しているの?と思い、彼らの人生を見つめていく。読み進めると、彼らの気持ちも理解ができる。その彼らの気持ちや立場は、まるっきり同じでないが、SNSで見る過激な投稿に繋がるように思う。
この本自体は今からほぼ10年前の2016年発行(邦訳版も2018年発行)だが、今のアメリカの状況も、おそらくこの本で書かれているアメリカの延長にあるのだろう。発行は少し前だが、古びていない。だからいろんな人に、今でいいから読んでほしいな、と私は思った。
以下、個人の考えをつらつらと述べているので、読むためにワンアクション必要なようにしておく。(本当に個人の考え!)(ああ、予防線…)
この本を読んで私は、「誰しも人生があるのだ」と、当たり前だけれど忘れがちなことを、考えた。それぞれに人生があり、生活があり、心があり、つまりは「人間」である。政治というのはその「人間」たちが生きていくためにやっていることであって、インターネット上の人生が見えない「アカウント」に向けたものではない、と思う。
SNSが力を持ちすぎて、「人間」と「アカウント」がほぼイコールになってきたけれど、本来、SNSのアカウントの投稿から見えるものは、「人間」の一部だ。
私は、政治は「人間」たちが語るべきであると思う。私たちが"生きていく"うえで、どうすればいいかを考える話題だと思う。
一歩踏み込んでしまうと、ゆえに、二次創作を投稿したり、ネットミームを流したりするのと同じアカウントで、「人間」の話をする感覚が、あまりわからない。二次創作と政治の話を同じアカウントでするということは、同じ「アカウント」レベルの話になってしまうのじゃないか。二次創作と政治を同じレベルで語っていいのか。(政治については)もっと情報量の多い、「人間」として話すべきではないのか。SNSでは見えないたくさんの情報があるのではないのか。ネットミームと政治が同じ次元になっていないか?私はこのことに強い危機感(忌避感かもしれない)を覚えている。*2
念のために書いておくと、政治について口を閉ざせ、と言っているのではない。語るのに適切なのは、SNSではないだろう、と言っている(さらに細かく言うと、SNSで語るのに適切な場を紹介したり、場に繋がる情報を流すのはいいと思っている)。
こう考えてしまうのは、私がSNS以前からインターネットを使っている世代だ、ということがあるだろう。インターネットは「人間」としての自分から解放される場、という感覚がある。私の本来の名前をはずれてHNをもち(時には完全な匿名で)、現実とは別のレイヤーでいろいろなことを言っていける。現実の生活のなかでは出会えない人に出会える。でもそこにあるものが「現実」とは限らない。
「現実」でないところで「現実」の議論をするより、「現実」で「現実」の議論をした方が、有益ではないか。
(アカウントで話をして、「現実」で「現実」の話をした気になっていないか。)
私はそう思ってしまうのだ。
……これは、私の嗜好が、人によっては顔をしかめてしまうものの多い傾向にあるからかもしれない。やばい(と一部の人は思うかもしれない)嗜好をSNSの「アカウント」で垂れ流しているので、そこと私という「人間」が同一視されると困るというか(人間として振る舞うときは、それなりに分別をもっているつもり!)、そこで正しい話をしても「でもこんな嗜好をもってるやつに言われてもな」という隙を生んでしまうな、と感じてしまうのだ。
などと。
語ったところで、ここもインターネットである。